50年かかって・・・

2010年05月28日 11:54

バスターミナルに迎えに来た父と、病院に向かう途中
しつこく「うなぎ・・・ 気になるカフェ・・・」口に出そうか思案してましたが
しっかりお弁当を用意してくれてて、病院に直行し、
母と三人で昼食をとりました。
毎日こうして昼ごはん時に、間に合うように病院に来てるようでした。

父はこの一ヶ月、一日も休むことなく、
車で40分かかる病院に通い、かいがいしく世話をしています。

「疲れるからゆっくり来ればいいやん」と言うと
「退屈やろな〜  寂しいかなぁ〜と思うと家にいても落ち着かんし」と父。

昼ごはんから晩御飯まで病院につめているようです。


お陰様で手足の麻痺もなく、言語障害もなく、
すごい回復を見せてますが・・・

記憶障害が残ってしまいました。


くも膜下と診断され、すぐに手術と言われた時も
今すぐ次の出血が起こるかも知れず、覚悟してくださいと言われても
手術後意識が戻らなかった時も
びっくりするぐらい冷静だった私。
きっと「大丈夫やわ」と思ってたのかもしれませんが。

しかし、話ができるようになり、いろんな記憶がとび
おかしなことを言う母を見た時は一番ショックでした。

そこにいるのは母なのに、以前の母とはあきらかに違う。

私たちがわかる時もあれば、名前がわからなかったり
住んでた所や自分の年齢も「わかりません」と小さな声で言う。
調子のいいときは笑っておどけたり冗談は言えても
過去と現在が混在して、とんちんかんなことを言う。

行っても喜ぶわけでなく、帰るときも寂しがるわけでもなく
話はできてもどこかうわのそら。
テレビで観た認知症の患者さんのようにも見え、ただただ泣けてきた。


生きているだけでも、麻痺がないだけでも、話ができるだけでも
本当に有難いことなのに、
どうして? と思ってしまう。
まだまだ私は人間ができてないようだ。

父や兄たちが「有難い、有難い」と現状を感謝していても
私の気は晴れず、岐阜からの帰路は涙がとまらなかった。
家に帰れば、普通の生活が待っていて、
娘から母に切り替えねばならず・・・そこが一番しんどかったかなぁ。

こんな状態で病院からはそろそろ退院を言われ
この先どうすればいいのか?と思ってましたが、
持つべきものは友達。
看護士の友人が、こういう病気の場合、次は回復期リハビリ病棟のある病院で
しっかりしたリハビリをして、社会生活にもどれるようにすると教えてくれた。
リハビリ病棟のある病院、そこに入るための条件、手続き・・・すべて友人が教えてくれ
アドバイスをくれ、来週滋賀にあるリハビリを主とした病院に移ることが決まりました。

母の脳はどこまで回復するのかわかりません。
今のままでも介助すれば家で生活はできそうです。

でも、専門家の下で可能性を求めてみんなでがんばろうと思います。
以前の状態に少しでも近づけるよう、見守ろうと思います。


先日までICUに入っていてこんな状態で早くも退院?と思ってしまいましたが
病院には「命を救うための病院」、「治療する病院」、「回復を助ける病院」・・・
いろいろあることも今回知りました。
高齢者の医療費優遇のこと、介護保険のこと
いろんなことも初めて知ることばかり。
 いい勉強になりました。


しわくちゃになった母の手。
私たち子どもの為、孫の為にひたすら昼夜働き続けてきた手でした。

いっぱい苦労して、いっぱい泣いてきた姿もみてきました。
でも、手足をさすり、やさしく話しかけ、かいがいしく世話をする父に
すべての苦労が報われたのではないでしょうか?
50年かけて、今やっと夫婦になったような気がします。

50年かぁ・・・
元気な時からやさしくしてあげれば、もっと喜んだろうに。




昨日何かわからなかったぬいぐるみを「トラ」と答え
「よくわかったなぁ!!」と頭をなでて喜ぶ父。
リハビリで療法士さんよりも一生懸命なんで「ちょっと任しなさいよ」と
思わず止めに入ってしまいました
病院で必要な身の回りのものも、すべて自分で買いに行ってます。

アイスクリームをおいしそうに食べたのを見て、毎日買って食べさせてる。
しかもハーゲンダッツ!

「私でもハーゲンダッツ1個食べたらお腹ふくれるねん。 やりすぎや。
ハーゲンダッツでなくても爽でもええんちゃうのん?」

ちゃちゃを入れる私の言うことなど無視^^

「うまいか?」とアイスクリームを食べさす父、おとなしく口を開ける母
とんちんかんな話にも「そうか、そうか」と笑顔で聞いている。
「子どもと一緒やな・・・」と言いながら。

いい光景を見ながら、病院の売店にアイスクリームを卸してた頃の両親の姿を思い出す。
両親はアイスクリームの卸しを長年やってきて、廃業してから岐阜の田舎暮らしを始めました。

建て直す前の古い済生会病院の売店のアイスクリームはうちが入れてましたが
古い病院は怖くて、配達について行きたくない私に
「病気の人の口を潤すし、待ってはるし切らしたらあかんのや」と言ってました。


前にも書きましたが、
神様はこんな時間を両親に与えてくださるために、母を助けてくださったんだと思います。



夫婦って・・・ 

両親の後姿にいろいろ考えさせられたのでありました。


関連記事