2010年05月07日
GW こんなことがありました
草津の店を勝手ながらお休みさせていただいてますが
発送やメールチェックなどの作業で店にいると
いろんな方が来られたり、電話がなったり・・・。
きっと、知らぬ間にいろんな人はこのドアの前で
引き返して行かれてるんでしょうね・・・
本当にごめんなさい。
「わざわざ足を運んでくださる」
本当に有難く、嬉しいことです。
その思いに応えられないことが本当に心苦しくて・・・
実はG,W こんなことがありました。
4月29日 昭和の日の夕方、母が倒れてしまいました。
くも膜下出血。
しかし恐るべし、我が母親。
生きてます^^
その日は母の75回目の誕生日。
昼間、尾賀商店から、合間に「お誕生日おめでとう!」と電話をすると
いつもと変わらぬ、いや、いつも以上に元気な声で
「今ね、お父さんと買い物に行って来て、回転寿司ご馳走してもらって帰って来たとこ♪」
と嬉しそうに話していた。
父がお誕生日を祝ってくれたことが本当に嬉しかったんでしょうね。
その数時間後に激しい頭痛を訴え倒れたんですが、すぐにましになり
かかりつけの最寄の病院で大丈夫との判断で家に戻り寝てました。
夜に子供たちが誕生日だからと電話をし、始めて事態を聞き
岐阜に飛んで行ったというわけです。
翌朝、まだ頭痛が残るものの、自分で身支度をして、話して
歩いて病院に。
連れていっても普通に話し、
「回転寿司でね、いつもは五皿なのに、昨日は六皿食べちゃった」
(何皿でも食べたらええやん!!)
病院でも「先生 今日も高速1000円ですか? この子これから帰るんですよ」
(いくらでもええねん!)
なんて話してましたが、検査の結果 くも膜下を起こしていて
かなり危険な状態らしい。
あまりにも普通だったので、郡上八幡の町のど真中の病院。
さて、帰りに何を食べて帰ろうか?なんて考えていたら
そのまま手術できる病院へ搬送されることに。
あまりにも普通にしてるので、滋賀に連れて帰れますか?というと
一刻の猶予もないと言う。
「あのね、巨人の木村コーチと全く同じなんですよ。今こんな状態で意識があることが
奇跡なんですよ」と。
救急車で搬送される時も、「いつ次ぎの出血がおきるか!?覚悟をしてください」
とまで言われました。
本人はそんな大事とは知らず、家にいる猫の心配をしたりなんかして・・・
最初の出血で助かったこと
次の出血が起こらなかったこと
手術の途中に出血が起こったけど手術は成功したこと
母はまだ生かされてるようです。
きっとこんな娘が心配でまだまだ死ねないわ!と言ってるんだと思います。
倒れた日、尾賀商店からの帰り道になぜか母との電話ばかりを思い出してました。
「しばらく来れないのね」と言った母の寂しそうな声。
仕事もあるし、野球もあるし、今年は行けないよ!
つっけんどんに言ってしまったけど、
無理とわかっていても「また行くね〜」とやさしく言ってあげなかったことが悔やまれる。
しかし、こんなカタチで呼ばなくても・・・。
仕事も野球もみんなに助けてもらい、G,Wは岐阜にいさせてもらいました。
兄たちも来て、久々に兄弟が集りました。
「おかあちゃんがこうして集らせてくれたね」と父を囲んで食べた味噌カツ。
有名な老舗店なのに、思いがめぐって味がわからず・・・
母が元気になれば、またみんなで味噌カツを食べに行きたいと思います。
回転寿司もいかなきゃね。
みんな普段の生活があり、年々こうして時間をあわせて会うことがむずかしくなりました。
母がこうして呼んでくれ、兄や父とこんなときではありますが
いい時間を過ごさせていただきました。
兄や義理姉・・・やっぱり兄弟っていいなぁ・・・なんて。
それにしても、GWの初日に倒れるなんて・・・
そろそろ してやったり・・・て顔で母もおきてきそうです^^
本当にいつ何があるかわからない。
親にも子どもにも友達にもお客さんにも、
いつも優しい言葉で別れたい・・・
そういつも思ってるのに、なかなかできず・・・。
皆さんもちょっとそんなことを心がけていただきたくて
書いてみました。
「後悔」は一つでも少ないほうがいいですね。
ご心配をおかけしてますが
母は少しずつ快方に向かっております。
とはいえ大手術だったので
まだまだ岐阜と滋賀を行ったり来たりになりますので、
勝手いたしますが、しばし「娘」に戻らせてくださいね。
発送やメールチェックなどの作業で店にいると
いろんな方が来られたり、電話がなったり・・・。
きっと、知らぬ間にいろんな人はこのドアの前で
引き返して行かれてるんでしょうね・・・
本当にごめんなさい。
「わざわざ足を運んでくださる」
本当に有難く、嬉しいことです。
その思いに応えられないことが本当に心苦しくて・・・
実はG,W こんなことがありました。
4月29日 昭和の日の夕方、母が倒れてしまいました。
くも膜下出血。
しかし恐るべし、我が母親。
生きてます^^
その日は母の75回目の誕生日。
昼間、尾賀商店から、合間に「お誕生日おめでとう!」と電話をすると
いつもと変わらぬ、いや、いつも以上に元気な声で
「今ね、お父さんと買い物に行って来て、回転寿司ご馳走してもらって帰って来たとこ♪」
と嬉しそうに話していた。
父がお誕生日を祝ってくれたことが本当に嬉しかったんでしょうね。
その数時間後に激しい頭痛を訴え倒れたんですが、すぐにましになり
かかりつけの最寄の病院で大丈夫との判断で家に戻り寝てました。
夜に子供たちが誕生日だからと電話をし、始めて事態を聞き
岐阜に飛んで行ったというわけです。
翌朝、まだ頭痛が残るものの、自分で身支度をして、話して
歩いて病院に。
連れていっても普通に話し、
「回転寿司でね、いつもは五皿なのに、昨日は六皿食べちゃった」
(何皿でも食べたらええやん!!)
病院でも「先生 今日も高速1000円ですか? この子これから帰るんですよ」
(いくらでもええねん!)
なんて話してましたが、検査の結果 くも膜下を起こしていて
かなり危険な状態らしい。
あまりにも普通だったので、郡上八幡の町のど真中の病院。
さて、帰りに何を食べて帰ろうか?なんて考えていたら
そのまま手術できる病院へ搬送されることに。
あまりにも普通にしてるので、滋賀に連れて帰れますか?というと
一刻の猶予もないと言う。
「あのね、巨人の木村コーチと全く同じなんですよ。今こんな状態で意識があることが
奇跡なんですよ」と。
救急車で搬送される時も、「いつ次ぎの出血がおきるか!?覚悟をしてください」
とまで言われました。
本人はそんな大事とは知らず、家にいる猫の心配をしたりなんかして・・・
最初の出血で助かったこと
次の出血が起こらなかったこと
手術の途中に出血が起こったけど手術は成功したこと
母はまだ生かされてるようです。
きっとこんな娘が心配でまだまだ死ねないわ!と言ってるんだと思います。
倒れた日、尾賀商店からの帰り道になぜか母との電話ばかりを思い出してました。
「しばらく来れないのね」と言った母の寂しそうな声。
仕事もあるし、野球もあるし、今年は行けないよ!
つっけんどんに言ってしまったけど、
無理とわかっていても「また行くね〜」とやさしく言ってあげなかったことが悔やまれる。
しかし、こんなカタチで呼ばなくても・・・。
仕事も野球もみんなに助けてもらい、G,Wは岐阜にいさせてもらいました。
兄たちも来て、久々に兄弟が集りました。
「おかあちゃんがこうして集らせてくれたね」と父を囲んで食べた味噌カツ。
有名な老舗店なのに、思いがめぐって味がわからず・・・
母が元気になれば、またみんなで味噌カツを食べに行きたいと思います。
回転寿司もいかなきゃね。
みんな普段の生活があり、年々こうして時間をあわせて会うことがむずかしくなりました。
母がこうして呼んでくれ、兄や父とこんなときではありますが
いい時間を過ごさせていただきました。
兄や義理姉・・・やっぱり兄弟っていいなぁ・・・なんて。
それにしても、GWの初日に倒れるなんて・・・
そろそろ してやったり・・・て顔で母もおきてきそうです^^
本当にいつ何があるかわからない。
親にも子どもにも友達にもお客さんにも、
いつも優しい言葉で別れたい・・・
そういつも思ってるのに、なかなかできず・・・。
皆さんもちょっとそんなことを心がけていただきたくて
書いてみました。
「後悔」は一つでも少ないほうがいいですね。
ご心配をおかけしてますが
母は少しずつ快方に向かっております。
とはいえ大手術だったので
まだまだ岐阜と滋賀を行ったり来たりになりますので、
勝手いたしますが、しばし「娘」に戻らせてくださいね。