2013年02月28日

60年の幕を閉じる・・・

ぽかぽか陽気の2月最後の日、
まっち(義理姉)の実家の八百屋「西村青果店」が
60年の幕を閉じるというので
学校終わりの娘とともに京都に行って来ました。


60年の幕を閉じる・・・


京都岡崎 仁王門通りにある西村青果店が今日で店を閉めることに。
大八車での行商から始まった八百屋さんは
その始まりは定かではないので、おおよそ60年ぐらいだそう。

お母さんと、番頭さんとまっち達三姉妹で店をきりもりしてきたけど
スーパーができたり、ご近所さんも高齢化して人も少なくなったりで
営業を終えることになりました。
最後の日まで元気に店に立ったお母さん
55年、店を支え続けた番頭さん
まっちと二人のお姉ちゃん
会った瞬間、私が号泣しそうでしたが
みんな清清しい笑顔でした。
やりきった感かなぁ。

60年の幕を閉じる・・・

私なんぞ、たった10数年の店を閉めただけで大泣きやし、未だに引きずってるのに・・・
小さくても、大きくても、長年でも数年でも
やはり店を閉めるのは感慨深い。
うちの両親も何十年も続けた商売を廃業して岐阜へ移住
第二の人生をスタートさせた。

みんないつかは終わりがあるわけで、それはとっても寂しいけど
新たな人生の始まりであり、スタートなのですね。
まっちの店に行って、うちの親戚も八百屋だったなぁ・・・と思い出した。
店の雰囲気、叔父、叔母、いとこたちのことを思い出した。
あの店にも、どの店にもこんな終わりの日があったんだなぁ。



いつもはお惣菜の仕込みや配達の準備で
ゆっくりする間などないのに、今日は最終日なので
店で全員そろってゆっくり。
こんなことも初めてだそう。
私とみなみも一緒にケーキとお茶をごちそうになりました。
次々いろんな人があいさつに来られ、にぎやかな最終日。

60年の幕を閉じる・・・

まっちはOLをやめ、兄と結婚して東京に行き
転勤とともに京都に戻ったのを機に、また店の手伝いを。
そこから店の野菜でお惣菜を作り、それは店ではなくてはならない
商品となりました。
ご近所の一人暮らしのお年寄りにそれはそれは重宝され
(あ、私もですけど)
暮らしを支えてきたまっちのお惣菜。
記念すべき最後のお惣菜は今夜の晩御飯に買ってきました。

60年の幕を閉じる・・・

うちの両親が岐阜で田舎暮らしをはじめ、兄家族は京都から草津に移り住み
そこから8年、まっちは草津から京都岡崎へ毎日往復2時間の通勤。
春、秋の観光シーズンは渋滞で帰りも遅くなったり大変だったでしょう。


暑い日も寒い日も、一日中店に立って接客し
その合間にお惣菜を作り、配達の段取りをして・・・すごいでしょ~
本当に尊敬し誇りに思う。
ずっと現役でがんばってきたお母さんもすごいし
それを支えたお姉ちゃん、番頭さんもすごい。
お店がなくなってしまうのは、一つの時代が終わってしまうようで
寂しいけど
「マザーウォーター」の映画に店もまっちも出たことは本当にいい記念になりました。

店にもポスターが貼ってありました(笑)

60年の幕を閉じる・・・
今でもロケ地巡りでファンが訪ねて来られるとか。

兄がそのまま東京で仕事をしていたら、まっちも店もどうなっていたか。
苦労の多い結婚生活だったことと思いますが
こうして三姉妹で店の最後を盛り上げてきたことは
それはそれでよかったのかなぁ・・・なんてね。


この店は私の人生にも大きく関わっていて
お世話になってる八風窯の中根啓さんのおばあちゃんが、ここのすぐ近所で銭湯をされていて
子どもの頃いつもこの辺で遊んでいた中根さん。
まっちのお姉ちゃんと同じ年で、幼馴染。
そんなこんなで、兄とまっちが結婚するときに引き出物を頼み
それがご縁で私は工房に行き、咲sacra楽をするきっかけにもなりました。
お風呂屋さんも数年前に廃業され、こうして昔ながらの店が
どんどんなくなるんですね。 

60年の幕を閉じる・・・


最後はみなみの写真で。

60年の幕を閉じる・・・


60年の幕を閉じる・・・


60年の幕を閉じる・・・


60年の幕を閉じる・・・

みなみ 「トマトが八百屋っぽい~」

どっからどう見ても八百屋ですけど・・・


60年の幕を閉じる・・・


60年の幕を閉じる・・・

ご近所の赤ちゃんやおじいちゃんおばあちゃんが集う。
近所の小学生も「ただいまー!」と帰っていった。
そういう店なんだね。
毎日買い物に来る人がこなければ、心配し
時には配達したり、入院されたらお見舞いに行ってたまっち。
皆さん、さみしいだろうなぁ。

60年の幕を閉じる・・・

たくさんのお花
ケーキには「長い間ありがとう」と書いてありました。

60年の幕を閉じる・・・


まっちのお惣菜は本当に美味しい。
いろんな人の「もったいない」、と言う声がいっぱいの中
まっちはホームヘルパーを目指すそう。
とっても向いてると思うけど
「いつかまっちのごはんが食べられるお店やろうよ」
言い続けてるけど、私と一緒じゃ全く計画性がなく商売っけがなく
夢物語。
でも私はあきらめてはいないのだ。
「咲楽cafe」 「咲楽食堂」?  「まっち食堂」?  
妄想は続く・・・


とにかく長い間皆さんお疲れさまでした。

60年の幕を閉じる・・・




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この記事へのコメント
はじめまして。私東山高校生として3年間通ってました、近辺懐かしく思い出しました。ちなみに八重さんの墓もあります。
Posted by 西村光史 at 2013年03月01日 07:40
>西村さま
コメントありがとうございます。 
それは懐かしいでしょうね。お寺がいっぱいあって、ぽつぽつ商店もあって・・・ おしゃれな雑貨屋さんやcafeもできてましたよ。
Posted by 翠翠 at 2013年03月01日 08:02
私、まっちゃんの同級生なんですが母からお店を閉められたと聞いてとても寂しい想いです
小学校の時のまっちゃんは可愛くて頭もよくて人気者でした
その新洞校も閉校となり寂しさが倍増です
もし書かれている様なお店をされるなら是非お伺いしたいと思います
Posted by 鈴木秀明 at 2013年05月01日 23:05
鈴木さま

ここを見つけてくださりありがとうございます!!
自慢の義理姉です^^
小学校が閉校はさみしいですよね。
まっちのお店はなかなか実現しそうにありませんが
いつか・・・と思っております。
そのときは同級生の皆さんにもお知らせしますね!!
Posted by 翠翠 at 2013年05月02日 08:34
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